今日は父の帰国記念日

こんにちは、Eimiです。
今日は暑い上、夕立ちとなり、ムシムシする一日となりました。
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今日、9月8日は、父が抑留されたシベリアから帰ってきた日です。
家族でお祝いしました。

花束と胡蝶蘭と鉄扇のプレゼントです。

15歳で軍隊に入隊し、16歳満州へ行き、そこで終戦を迎え、同時にソ連兵に捕らえられ
そのままシベリアです。
始めの年に肺炎になり九死に一生を得た父は、その後ウズベキスタンに移動となります。
そして、そこで4年過ごし、20歳になってようやく帰国できたのです。

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今日、話を聞いてみると、15歳で配属されたのは、松山にあった飛行機の整備を中心とした部隊だっそうです。
父は『飛行機に乗りたい。特攻隊の一人となりたい』と言い、
『飛行機に乗れないなら、除隊する! 帰る‼』と、言ったそうです。

そのときちょうど、満州行の部隊に欠員が出ました。
病人が出たそうです。
その補填として、急遽満州への部隊への参加となったということでした。

「わざわざ自分から、危険な方へ危険な方へと、選ばなくても良さそうなものを」
「まったくだ」
と、父は笑います。

それでも父は行きたかったのでしょう。
日本のために、じっとしていられなかったのでしょう。

ソ連で過ごした4年間の苦しみと愚痴は、まだ出ます。
「終戦後に捕虜にすることなんか、許されない。奴等、勝手なことをしやがって。おれたちをこき使うだけこき使って。いっぱい肺炎で死んだんだぞっ」
「最後に、この国の人間になってもいいぞと言われた。誰がなるかっ!自由のない国に残るわけないじゃないかっ!」
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しかしもう90歳です。家族の誰より長生きです。
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どちらかと言えば、
その幸運に、あやかりたいほどです。

その部隊がウズベキスタンに移動になったとき、布施軍医はいなかったそうです。
その後は分からないと言います。

軍医は帰国する組にもいませんでした。
もしかして、帰ることは出来なかったのかもしれないと、父はとても悔しがっていました。
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本当に、日本にとって、残酷で哀しい時代でした。









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COMMENT2

LandM  

時代を感じる話ですね~~。
今の日本はこうした戦後を乗り越えてのものですから、
感謝感激雨あられですね。
・・・ということは思います。
今こうしてのんびり生きているのも
尽力してくださった多くの年配者のおかげですね。
(*'▽')

2020/02/20 (Thu) 09:56 | EDIT | REPLY |   
Eimi

Eimi  

Re: タイトルなし

こんにちは~。コメントありがとうございます。
このお話を読んでくださってありがとうございます。
父の記憶では老いてますます記憶が鮮明になっていくようで、当時のことをずっと話し続けています。
生き残ることができて、幸運だったと思います。
感謝しかないですね。
ありがとうございます。

2020/02/21 (Fri) 22:33 | EDIT | REPLY |   

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